Skyllaの箱庭

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軍艦の進化と種類(3)

次はとても重要な軍縮条約時代だ。

■ワシントン軍縮条約/ロンドン軍縮条約
全世界でポストユトランド戦艦の建造競争が始まった。
日本の場合は八八艦隊計画41cm砲の長門型戦艦2隻が完成し、加賀型戦艦2隻天城型巡洋戦艦4隻の建造を始め、紀伊型戦艦2隻が起工直前だった。
アメリカは16in砲(40.6cm)の戦艦6隻巡洋戦艦6隻の建造を始めた。ブルジョワめ!
弩級/超弩級戦艦を一番沢山保有して世界をリードしていたイギリスは、哀れスタートラインに戻された上に出遅れた。
このままじゃヤバイって事で、何だかんだで軍縮条約が結ばれた。
日本は米英に比べて保有枠が少なかったが、軍縮条約が無ければ国力の差から更に大きな差を付けられるのが目に見えているので、条約に参加したのは正解だった。
でも国民には見えてなかったので弱腰外交だと批判して揉めに揉めた。
でも強腰はやめとけw

■ビッグセブン
結局、条約前に完成及び建造を許可された41cm(16in)砲搭載の戦艦は以下の7隻となった。
日本の長門、陸奥
イギリスのネルソン、ロード・ネイ
アメリカのコロラド、メリーランド、ウエストバージニア

これらはビッグセブンと言われ同列に扱われているが、この中では一番古い長門型が別格だった。
集中防御の思想が産まれた時には建造中だったので完成前に大改造した。
装甲はネルソン級に若干劣るが、速度はコロラド級21ktネルソン級23ktに対して長門型は26.5ktの高速戦艦だった。(発表は23ノット)
って言うかコロラド級は主砲だけ16inに拡大して船体・装甲・機関は旧式戦艦のままのお粗末な物だった。
しかも長門型は大改装して装甲、特に上面の水平装甲はぶっちぎりになった。(重量増加で25ktに落ちたが、それでも最速)

■旧式戦艦
条約中は実質新しい戦艦を建造できなかったので日本は大改造を行った。
35.6cm砲では将来現れる新型戦艦の側面を貫通するのは難しいと考えて、装甲の薄い上面を狙う様に想定交戦距離遠くした。

主砲の仰角を55度まで引き上げて超山なり弾道とし、遠距離なら大和を除く全ての新型戦艦の重要区画を1撃で破壊できる様になっていた。
弾薬庫や機関が広範囲に散らばっているので理想的な集中防御にはできなかったが、重要区画の上面に水平装甲を追加した、その厚さは戦時中に完成した米英の最新鋭戦艦と同等な程だった。
条約で舷側装甲を変えられなかったので、重要区画と舷側の間に垂直装甲を追加した。

そして機関換装で馬力が2倍になり、米英の21~23ノットに対して3ノット程度優速で、更に金剛型は30ノットのバケモノになっていた。

英は一部の旧式艦だけであまり大きな改造は行わなかった。
米は殆ど改造を行わなかったが、条約明けから開戦までの間に新型戦艦を10隻も建造開始した。ブルジョワめ!
真珠湾攻撃の仕返しの為に戦艦や空母を量産したってよく言われるけど、戦艦や大型空母の多くは開戦前から作り始めていた。

あとはイタリアが無茶をやった。
戦艦2隻を別物と言って良いほど改造している。
たぶん新造するより金も時間も掛かっている(笑

■軽巡洋艦と超軽巡洋艦と重巡洋艦
巡洋艦は装甲巡洋艦(巡洋戦艦に発展)軽巡洋艦に別れていたが、軽巡洋艦の能力も上昇し続けていた。
八八艦隊計画では戦艦だけでなく軽巡洋艦や駆逐艦も殆ど全部作り変えるもので、軽巡1隻と多数の駆逐艦で構成される水雷戦隊が編成された。
駆逐艦の突撃を支援する為に軽巡も重武装化して行き、遂に20.0cm砲6問超軽巡洋艦(古鷹、加古、青葉、衣笠)が建造された。

「ちょっとマテ、超軽巡洋艦って何やねん!」
多分殆どの人が聞いた事無いだろう。

そしてワシントン軍縮条約やロンドン軍縮条約で巡洋艦も制限された。
・巡洋艦のサイズは基準排水量10,000tまで
・主砲口径6in(15.2cm)までの物が軽巡洋艦
・主砲口径8in(20.3cm)までの物が重巡洋艦
・国毎の保有枠etc


制限が決まっているのなら制限ギリギリで作りたくなるのが人情って物なので、各国1万トンで8in(20.3cm)砲を積んだ重巡を競って作った。

戦艦保有枠で不利な日本は強い巡洋艦を求めて武装を重視した。
船体は重防御だが砲塔は軽巡の砲に耐えられる程度だった。
20.3cm砲では戦艦に対抗できないので必殺の魚雷を充実させ、魚雷でしか対抗できない様な相手の砲に砲塔が耐える必要は無いと考えて砲塔の装甲を軽量化した。

アメリカは太平洋と大西洋に戦力を分散しているので、戦艦が集結するまでの時間稼ぎをさせる為に防御を重視した。戦艦に立ち向かう必要は無いので魚雷は積まなかった。

イギリスは世界中に植民地を持っているので巡航能力や航続距離や居住性や汎用性を重視したので、武装や装甲は微妙だが兵士は快適だった。

重巡足柄がイギリスに訪問した時に「飢えたオオカミの様」とか「軍艦に初めて乗った。今まで乗っていたのは客船だった」とか言われた。(上手い事を言うw)

古鷹(青葉)型が重巡として微妙なのはそう言う理由だ。
日本が作っていい重巡は合計10万8千トンまでだから、あと8隻しか作るの禁止な!
m9(^Д^)プギャー


■東洋のバケモノ駆逐艦
日露戦争では航洋能力が足りずにパッとしなかった駆逐艦を有効な戦力としてカウントする為に、航洋能力を持った1200t程度の大型の駆逐艦が作られた。
そして八八艦隊計画やワシントン軍縮会議を経て戦艦や巡洋艦の保有や性能が制限されたので、他国の駆逐艦を圧倒する武装と速度を持った1600tの特型(吹雪型、暁型、綾波型)駆逐艦を作った。
って言うか砲の口径が小さいだけで一昔前の軽巡洋艦じゃね?(笑
その12.7cm(5in)砲も重量弾を高速で撃ち出す強力な物だし。

まあ、当然の様に駆逐艦も次のロンドン軍縮条約(1930)で制限される事になり、1500tを超える駆逐艦をこれ以上作れなくなった。
仕方が無いので1400tに縮小した初春型が・・・って小さくても同じ武装のバケモノだった(汗

こいつらバケモノの任務は水雷戦隊を組んで、戦艦同士の決戦の前に夜襲で戦艦の数を減らす漸減作戦だった。
そして魚雷は酸素魚雷に進化した。
遠距離での命中率は悪いが戦艦の主砲と張り合える射程を得た。
回避される可能性も有ったが複数艦による統制雷撃で、回避範囲全てをカバーするって言うか艦隊丸ごと飲み込む弾幕雷撃を行う事になっていた。

適切な場所やタイミングで突入させる為に索敵(水上機)通信に優れた軽巡が旗艦になり、一緒に突入しながら探照灯を照らして囮となったり妨害艦の排除を行った。
水雷戦隊突入を支援する為に重巡は囮になる予定だった。
重巡の魚雷も酸素魚雷になったので、重巡を突入させる為に戦艦も囮になった。

戦艦同士の戦いを少しでも有利にする為に考え出した戦法なのに、気が付いたら戦艦が支援をする側になっていた。
酸素魚雷が登場した時点で、戦艦は誰でも撃沈可能な脇役になっていた。
日本軍はそれに気付いていたが、戦艦が囮として機能する為には戦艦には主役を演じ続けてもらう必要が有った。

因みに酸素魚雷運用可能に改造した駆逐艦は白露型以降で、初春型以前(睦月型、吹雪型、暁型、綾波型、初春型)は最後まで酸素魚雷を使えなかった。

■航空母艦
弩級戦艦以降主砲の有効射程が劇的に延びたのだが、ぶっちゃけ遠すぎて敵艦や着弾が目視できなかった。
だから着弾観測の為に戦艦に観測機(水上機)を搭載する様になった。
敵も観測機を飛ばして来る筈なので、敵の観測機と妨害合戦する為に観測機には空中戦の能力が要求されていた。
でも水上機では限界が有るので、陸上戦闘機(艦上戦闘機)を飛ばす事が出来たら有利と言う事になった。これが空母の始まり。
同じ様な時期に軍縮条約で戦艦や巡洋艦が制限されたので、航空母艦名義で大砲を積もうと思ったら、12.7cm以上20.3cm以下の砲を10問までって制限された。

20.3cm以下10問までって言われたら20.3cmを10問完食したくなるのが人情って物でしょう。
まあ、赤城と加賀の事ですけどねw
ちなみに空母蒼龍は当初15cm砲搭載の戦闘艦として設計されていた。

で、実際に空母を作ってみると敵の空母が厄介な事に気が付いた。
戦艦で空母を攻撃したくても後方に居て届かないし足が速いから追いつけない、巡洋艦や駆逐艦なら追いつけるけど前面に戦艦が居る。
そこで航空機に爆弾を積んで空母の甲板を破壊すれば撃沈は無理でも機能停止には追い込める。そうすれば味方の戦艦は有利に戦える。
爆弾で戦艦を撃沈するのは無理だけれど小型艦には効くし、地上を爆撃する事も出来るから、戦艦のサポート以外にも便利な事に気が付いた。

そして、魚雷が航空機に搭載可能になった時、航空機だけで戦艦を撃沈できる様になった。
っと言っても作戦行動中の戦艦に魚雷攻撃するのは無理だよね┐(´∀`)┌

■水雷艇復活
駆逐艦によって消滅した水雷艇が復活した。
ロンドン軍縮条約で600t以下のちっさいのは駆逐艦の制限枠外って事になったので、600tの船体に駆逐艦並みの武装をした。

無茶だろ、って言うか案の定転覆事故が起きた。
友鶴事件って奴で70人以上亡くなった。
結局武装を半分ぐらい減らして何とか稼動できる様にはなったが明らかに失敗だった。
あと同じ人が設計した1400tの初春型駆逐艦も危険だって事で武装を減らされた。

■潜水艦
古くはアメリカ南北戦争の時代から有ったが、当時は停泊中の船コッソリ忍び寄って爆薬を貼り付るだけの簡単な自殺兵器だった。

日本は潜水艦分野では後進国だったが、WW1の賠償でドイツから貰ったUボートを研究して色々試行錯誤していた。
そして速い内から潜水艦に水上機を搭載する実験をしていた。

戦時中に作られた伊400型が、水上機を搭載するイロモノ潜水艦として良く紹介されるので知名度が高いが、水上機を搭載する潜水艦自体は戦前から量産されていて実は珍しくも何とも無かった。
伊400も潜水艦としては大型で比較的大型の水上機晴嵐を3機も搭載するが、潜水艦としては常識的なものだった。
日本以外で水上機を積んだのは本当にイロモノだったけどね(笑
(フランスのシェルフークは20cm連装砲と着弾観測用の観測機を積んだ)

そして駆逐艦の水雷戦隊と同じく漸減作戦により、前哨戦で敵の戦艦を減らす事を考えていた。
水上機を積んだのも敵艦隊の位置を掴んで先回りする為だ。

あと、日本の潜水艦は他国の潜水艦と比べて格段に居住性が良かった。
水上艦に比べて居住性が悪いのは仕方ないが、それ故に少しでも何とかしようと配慮されていた。
仕官から水兵に至るまで全員に専用の寝台が有ったのは日本の潜水艦だけだ。
他国の潜水艦は交替で同じ寝台を使ったり、寝台すら足りずハンモックを使ったりしていた。
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