Skyllaの箱庭

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軍艦の進化と種類(2)

次は第一次世界大戦(WW1)(1914)頃の話。

■弩(ド)級戦艦とは何か
1906年に完成したイギリスのドレットノート級戦艦と同じ設計思想の戦艦を弩級戦艦と呼んでいる。
完成は日露戦争後だけど構想は日露戦争前から始まっていた。
クイズ番組やアニメのネタにされたので知ってる人も多いと思う。
でもドレッドノートと他の戦艦の違いを尋ねられても「大きくて強いんじゃね?」ぐらいしか知らないと思う。間違いではないのだが本質は違う

前弩級戦艦は限られたスペース・重量で少しでも砲を載せる為に色んな口径の主砲/中間砲/副砲を混載し、各砲塔でバラバラに照準・射撃していた。
日露戦争でも敵艦周辺に多数の着弾水柱が上がり、自分の撃った弾がどれか解らなくて着弾修正する事ができず、至近距離で殴り合うしかなかった。

そこで共通の照準器/射撃指揮で全ての砲で同じ場所を弾幕の様に同時に撃つ方法が考えられた。
効果はてきめんで最大射程距離近くの遠距離でも命中できた。

で、その能力を生かす為に最適化されたのが「主砲は長射程の同一大口径を多数」「得意な遠距離戦を強要する為に敵より優速」「中間砲や副砲は照準の邪魔なので撤去」と言った内容で、結果的に今までの戦艦より少し大きくなった。
つまり大きいから弩級と呼ぶ訳ではないのだ。
(なお、肉薄する小型艦対策で副砲は復活した)

これにより前弩級戦艦は全てゴミとなった。
有効射程距離の差でアウトレンジされるし、多数で攻めても追いつけないので接近前に各個撃破される。
イギリスは前弩級戦艦を大量に保有していたので、過去の資産が全てゴミになった。
大損である。

なお”超弩級”と言うのも有るが、これはイギリスでドレットノートよりも少し大きい砲の戦艦を作り始めた時に、イギリスの新聞にスーパー ドレッドノートと書かれたのを日本語に直訳した物だ。
つまり、ただ大きいだけで本質的には弩級戦艦と同じ物だ。

一部で35.6cm砲を超弩級41cm砲を超々弩級46cm砲を超々々弩級と呼んだ様だが、くっだらねえ言葉遊びなので纏めて弩級戦艦で良いと思う。
って言うか日本以外では弩級と超弩級を区別しない方が多いようだ。

■巡洋戦艦とは何か
戦艦並みの攻撃力巡洋艦並みの速力と装甲を持った艦を巡洋戦艦と呼んだ。
自分の主砲に耐える装甲を持ったのが戦艦で、耐えられないのが巡洋戦艦とも言われるが、それは後世の後付理論で本質ではない。
って言うか殆どの戦艦は特定の中間距離以外では自分の主砲に耐えられない
時期や国によって装甲巡洋艦とか戦闘巡洋艦とか大巡洋艦とも呼ばれる。
弩級戦艦の要素も持っていたので弩級戦艦の1種でも有る。

イギリス式は戦艦の延長で戦艦と同じ主砲に従来の装甲巡洋艦並の装甲と速度を与え、ドイツ式は装甲巡洋艦の延長で装甲巡洋艦の主砲と装甲を強化した(戦艦には劣る)
両者を比較すると火力はイギリス式が勝り、防御はドイツ式が勝っていて、互いに撃ち合うと互いの装甲を撃ち抜けた。
戦艦と撃ち合うならイギリス式、格下の艦艇と撃ち合うならドイツ式が有利と考えられる。

日露戦争の日本海海戦では、装甲巡洋艦がバルチック艦隊の前方に回りこんで進路妨害すると言う大活躍だったが、自身の主砲で敵戦艦に致命傷を与えるのは困難だったのでもう少し火力が欲しかった。
又、通商破壊戦(護衛)や小規模戦に戦艦を出すのは使い難いが、従来の装甲巡洋艦程度を圧倒して蹴散らせる艦が欲しかった。
アウトレンジできるので装甲は必要無いんじゃね?とか高速だから遠距離戦では被弾し難いだろうとか期待されていた。

WW1前半にはイギリスの巡洋戦艦がドイツの巡洋艦をボコボコのケチョンケチョンに蹴散らして、巡洋艦以下の艦艇は巡洋戦艦に全く歯が立たない事を証明した。
巡洋戦艦時代の到来だ。

■ユトランド(ジュットランド)沖海戦(1916)
WW1中盤になって北海でイギリス海軍とドイツ海軍がぶつかり合う海戦が有った。
前弩級/弩級戦艦/巡洋戦艦/その他小艦艇が総力でぶつかり合う最初で最後の海戦だった。

結論を言えばゴミの前弩級戦艦は足が遅くて役に立たなかった。
弩級戦艦ですら足が遅くて殆ど砲戦に参加できなかった。
巡洋戦艦が主役だったがアッサリ被弾して戦闘力を失ったり沈んだりした。
つまり足の遅い戦艦装甲の弱い巡洋戦艦ダメって事が判明した。

もう少し細かく書くと、互いが有利になるように巡洋戦艦で位置取り合戦をする途中で主役が全滅して、戦艦がぶつかり合う前に戦闘継続を断念した。
巡洋戦艦時代終了のお知らせ。

■ポスト ユトランド
ユトランド沖海戦で巡洋戦艦がボコボコのケチョンケチョンになったけど、主な理由は主砲塔と甲板上面への被弾だった。
主砲塔(及び主砲基部のバーベット(筒))への被弾が予想外に多く、すぐに戦闘力を失ったり弾薬庫誘爆で轟沈したりした。
ドイツの巡洋戦艦は装甲が厚かったので沈み難かったが、砲塔はすぐにダメになって戦闘不能になった。
だから主砲塔(及びバーベット)も舷側装甲と同等以上の装甲が必携となった。
もう1つは予想以上に遠距離でバシバシ命中し、交戦距離が遠くなった事で山なり弾道の砲弾が甲板上面深い角度で刺さった。
巡航戦艦も戦艦も甲板は薄い鉄板で装甲が無かった。

ここら辺の対策をした艦の事をポストユトランドと呼んだ。
あと、巡洋戦艦並とまでは言わないけど、交戦意思の無い敵戦艦を追撃する為には戦艦も敵より3ノットぐらい優速でないとダメだと解った。

■垂直(舷側)装甲と水平(甲板)装甲
初期の弩級戦艦までは舷側装甲で至近距離から水平に近い角度で飛んでくる砲弾を防いだ。
しかし弩級になってからは遠距離で山なりに飛んでくる砲弾甲板の薄い装甲に刺さる様になったので、甲板に水平装甲を貼る必要があった。
あと、装甲を斜めに貼ったり垂直装甲を抜けた砲弾が低い位置の水平装甲で防がれる配置にしたりとか色々工夫した。

垂直装甲は近距離ほど弾速が早くて貫通し易くなる。
水平装甲は遠距離ほど弾道の角度が深くて貫通し易くなる。

艦や砲の組み合わせで違うがだいたい20km~30kmの中距離で最も防御力が高くなった。

■集中防御と完全防御
側面の垂直装甲だけでなく上面の水平装甲も必要になったが、広い面積に厚い装甲を貼ると重くなるので色々工夫した。
又、徹甲弾(鉄鋼弾ではないぞw)の性能も上がって従来の装甲厚で完全に防ぐのは不可能だったので、何かを妥協する必要があった。

船体全体に有る程度の装甲を貼って沈み難くしたのが完全防御。(全体防御とも言う)
有る程度以上強力な砲弾はスポスポ抜けて装備を壊されるが沈み難かった。
ポストユトランド以前の旧式戦艦は水平装甲の無い完全防御だった。

主砲・弾薬庫・機関等の配置をなるべく狭い範囲に集中してその部分の装甲を特に厚くしたのが集中防御。(狭いほど同じ重量で厚い装甲を貼れる)

沈むまで数百発の被弾に耐えるけど最初の数発で主砲や機関が沈黙する戦艦より、50発程度の被弾で沈むけど沈む直前まで主砲も機関も無事で戦闘力を維持する戦艦の方が有力って話だ。
完全防御は聞こえは良いが効率の悪い遅れた思想なのだ。

ポストユトランドを突き詰めると重量増加に耐えられないので集中防御方式に移行した。あと水密区画とか注排水装置とか船体構造の技術が進んだ事で、重要区画さえ守れば多少壊れても沈まない様になっていた。

でも直ぐに軍縮条約が結ばれたので新造時から導入できたのは英のネルソン級だけだった。
日本だと条約明けの大和型、米だとサウスダコタ級やアイオワ級だろう。(ノースカロライナ級は新型戦艦だが装甲は旧式)

でもドイツにはそう言う発想は無かった。
防御力が高いと評判のビスマルク最初の数発で戦闘不能になり、400発ぐらい被弾しても浮いていて、最後は自沈した。
実に無駄で上等なサンドバッグだ。
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