Skyllaの箱庭

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軍艦の進化と種類(3)

次はとても重要な軍縮条約時代だ。

■ワシントン軍縮条約/ロンドン軍縮条約
全世界でポストユトランド戦艦の建造競争が始まった。
日本の場合は八八艦隊計画41cm砲の長門型戦艦2隻が完成し、加賀型戦艦2隻天城型巡洋戦艦4隻の建造を始め、紀伊型戦艦2隻が起工直前だった。
アメリカは16in砲(40.6cm)の戦艦6隻巡洋戦艦6隻の建造を始めた。ブルジョワめ!
弩級/超弩級戦艦を一番沢山保有して世界をリードしていたイギリスは、哀れスタートラインに戻された上に出遅れた。
このままじゃヤバイって事で、何だかんだで軍縮条約が結ばれた。
日本は米英に比べて保有枠が少なかったが、軍縮条約が無ければ国力の差から更に大きな差を付けられるのが目に見えているので、条約に参加したのは正解だった。
でも国民には見えてなかったので弱腰外交だと批判して揉めに揉めた。
でも強腰はやめとけw

■ビッグセブン
結局、条約前に完成及び建造を許可された41cm(16in)砲搭載の戦艦は以下の7隻となった。
日本の長門、陸奥
イギリスのネルソン、ロード・ネイ
アメリカのコロラド、メリーランド、ウエストバージニア

これらはビッグセブンと言われ同列に扱われているが、この中では一番古い長門型が別格だった。
集中防御の思想が産まれた時には建造中だったので完成前に大改造した。
装甲はネルソン級に若干劣るが、速度はコロラド級21ktネルソン級23ktに対して長門型は26.5ktの高速戦艦だった。(発表は23ノット)
って言うかコロラド級は主砲だけ16inに拡大して船体・装甲・機関は旧式戦艦のままのお粗末な物だった。
しかも長門型は大改装して装甲、特に上面の水平装甲はぶっちぎりになった。(重量増加で25ktに落ちたが、それでも最速)

■旧式戦艦
条約中は実質新しい戦艦を建造できなかったので日本は大改造を行った。
35.6cm砲では将来現れる新型戦艦の側面を貫通するのは難しいと考えて、装甲の薄い上面を狙う様に想定交戦距離遠くした。

主砲の仰角を55度まで引き上げて超山なり弾道とし、遠距離なら大和を除く全ての新型戦艦の重要区画を1撃で破壊できる様になっていた。
弾薬庫や機関が広範囲に散らばっているので理想的な集中防御にはできなかったが、重要区画の上面に水平装甲を追加した、その厚さは戦時中に完成した米英の最新鋭戦艦と同等な程だった。
条約で舷側装甲を変えられなかったので、重要区画と舷側の間に垂直装甲を追加した。

そして機関換装で馬力が2倍になり、米英の21~23ノットに対して3ノット程度優速で、更に金剛型は30ノットのバケモノになっていた。

英は一部の旧式艦だけであまり大きな改造は行わなかった。
米は殆ど改造を行わなかったが、条約明けから開戦までの間に新型戦艦を10隻も建造開始した。ブルジョワめ!
真珠湾攻撃の仕返しの為に戦艦や空母を量産したってよく言われるけど、戦艦や大型空母の多くは開戦前から作り始めていた。

あとはイタリアが無茶をやった。
戦艦2隻を別物と言って良いほど改造している。
たぶん新造するより金も時間も掛かっている(笑

■軽巡洋艦と超軽巡洋艦と重巡洋艦
巡洋艦は装甲巡洋艦(巡洋戦艦に発展)軽巡洋艦に別れていたが、軽巡洋艦の能力も上昇し続けていた。
八八艦隊計画では戦艦だけでなく軽巡洋艦や駆逐艦も殆ど全部作り変えるもので、軽巡1隻と多数の駆逐艦で構成される水雷戦隊が編成された。
駆逐艦の突撃を支援する為に軽巡も重武装化して行き、遂に20.0cm砲6問超軽巡洋艦(古鷹、加古、青葉、衣笠)が建造された。

「ちょっとマテ、超軽巡洋艦って何やねん!」
多分殆どの人が聞いた事無いだろう。

そしてワシントン軍縮条約やロンドン軍縮条約で巡洋艦も制限された。
・巡洋艦のサイズは基準排水量10,000tまで
・主砲口径6in(15.2cm)までの物が軽巡洋艦
・主砲口径8in(20.3cm)までの物が重巡洋艦
・国毎の保有枠etc


制限が決まっているのなら制限ギリギリで作りたくなるのが人情って物なので、各国1万トンで8in(20.3cm)砲を積んだ重巡を競って作った。

戦艦保有枠で不利な日本は強い巡洋艦を求めて武装を重視した。
船体は重防御だが砲塔は軽巡の砲に耐えられる程度だった。
20.3cm砲では戦艦に対抗できないので必殺の魚雷を充実させ、魚雷でしか対抗できない様な相手の砲に砲塔が耐える必要は無いと考えて砲塔の装甲を軽量化した。

アメリカは太平洋と大西洋に戦力を分散しているので、戦艦が集結するまでの時間稼ぎをさせる為に防御を重視した。戦艦に立ち向かう必要は無いので魚雷は積まなかった。

イギリスは世界中に植民地を持っているので巡航能力や航続距離や居住性や汎用性を重視したので、武装や装甲は微妙だが兵士は快適だった。

重巡足柄がイギリスに訪問した時に「飢えたオオカミの様」とか「軍艦に初めて乗った。今まで乗っていたのは客船だった」とか言われた。(上手い事を言うw)

古鷹(青葉)型が重巡として微妙なのはそう言う理由だ。
日本が作っていい重巡は合計10万8千トンまでだから、あと8隻しか作るの禁止な!
m9(^Д^)プギャー


■東洋のバケモノ駆逐艦
日露戦争では航洋能力が足りずにパッとしなかった駆逐艦を有効な戦力としてカウントする為に、航洋能力を持った1200t程度の大型の駆逐艦が作られた。
そして八八艦隊計画やワシントン軍縮会議を経て戦艦や巡洋艦の保有や性能が制限されたので、他国の駆逐艦を圧倒する武装と速度を持った1600tの特型(吹雪型、暁型、綾波型)駆逐艦を作った。
って言うか砲の口径が小さいだけで一昔前の軽巡洋艦じゃね?(笑
その12.7cm(5in)砲も重量弾を高速で撃ち出す強力な物だし。

まあ、当然の様に駆逐艦も次のロンドン軍縮条約(1930)で制限される事になり、1500tを超える駆逐艦をこれ以上作れなくなった。
仕方が無いので1400tに縮小した初春型が・・・って小さくても同じ武装のバケモノだった(汗

こいつらバケモノの任務は水雷戦隊を組んで、戦艦同士の決戦の前に夜襲で戦艦の数を減らす漸減作戦だった。
そして魚雷は酸素魚雷に進化した。
遠距離での命中率は悪いが戦艦の主砲と張り合える射程を得た。
回避される可能性も有ったが複数艦による統制雷撃で、回避範囲全てをカバーするって言うか艦隊丸ごと飲み込む弾幕雷撃を行う事になっていた。

適切な場所やタイミングで突入させる為に索敵(水上機)通信に優れた軽巡が旗艦になり、一緒に突入しながら探照灯を照らして囮となったり妨害艦の排除を行った。
水雷戦隊突入を支援する為に重巡は囮になる予定だった。
重巡の魚雷も酸素魚雷になったので、重巡を突入させる為に戦艦も囮になった。

戦艦同士の戦いを少しでも有利にする為に考え出した戦法なのに、気が付いたら戦艦が支援をする側になっていた。
酸素魚雷が登場した時点で、戦艦は誰でも撃沈可能な脇役になっていた。
日本軍はそれに気付いていたが、戦艦が囮として機能する為には戦艦には主役を演じ続けてもらう必要が有った。

因みに酸素魚雷運用可能に改造した駆逐艦は白露型以降で、初春型以前(睦月型、吹雪型、暁型、綾波型、初春型)は最後まで酸素魚雷を使えなかった。

■航空母艦
弩級戦艦以降主砲の有効射程が劇的に延びたのだが、ぶっちゃけ遠すぎて敵艦や着弾が目視できなかった。
だから着弾観測の為に戦艦に観測機(水上機)を搭載する様になった。
敵も観測機を飛ばして来る筈なので、敵の観測機と妨害合戦する為に観測機には空中戦の能力が要求されていた。
でも水上機では限界が有るので、陸上戦闘機(艦上戦闘機)を飛ばす事が出来たら有利と言う事になった。これが空母の始まり。
同じ様な時期に軍縮条約で戦艦や巡洋艦が制限されたので、航空母艦名義で大砲を積もうと思ったら、12.7cm以上20.3cm以下の砲を10問までって制限された。

20.3cm以下10問までって言われたら20.3cmを10問完食したくなるのが人情って物でしょう。
まあ、赤城と加賀の事ですけどねw
ちなみに空母蒼龍は当初15cm砲搭載の戦闘艦として設計されていた。

で、実際に空母を作ってみると敵の空母が厄介な事に気が付いた。
戦艦で空母を攻撃したくても後方に居て届かないし足が速いから追いつけない、巡洋艦や駆逐艦なら追いつけるけど前面に戦艦が居る。
そこで航空機に爆弾を積んで空母の甲板を破壊すれば撃沈は無理でも機能停止には追い込める。そうすれば味方の戦艦は有利に戦える。
爆弾で戦艦を撃沈するのは無理だけれど小型艦には効くし、地上を爆撃する事も出来るから、戦艦のサポート以外にも便利な事に気が付いた。

そして、魚雷が航空機に搭載可能になった時、航空機だけで戦艦を撃沈できる様になった。
っと言っても作戦行動中の戦艦に魚雷攻撃するのは無理だよね┐(´∀`)┌

■水雷艇復活
駆逐艦によって消滅した水雷艇が復活した。
ロンドン軍縮条約で600t以下のちっさいのは駆逐艦の制限枠外って事になったので、600tの船体に駆逐艦並みの武装をした。

無茶だろ、って言うか案の定転覆事故が起きた。
友鶴事件って奴で70人以上亡くなった。
結局武装を半分ぐらい減らして何とか稼動できる様にはなったが明らかに失敗だった。
あと同じ人が設計した1400tの初春型駆逐艦も危険だって事で武装を減らされた。

■潜水艦
古くはアメリカ南北戦争の時代から有ったが、当時は停泊中の船コッソリ忍び寄って爆薬を貼り付るだけの簡単な自殺兵器だった。

日本は潜水艦分野では後進国だったが、WW1の賠償でドイツから貰ったUボートを研究して色々試行錯誤していた。
そして速い内から潜水艦に水上機を搭載する実験をしていた。

戦時中に作られた伊400型が、水上機を搭載するイロモノ潜水艦として良く紹介されるので知名度が高いが、水上機を搭載する潜水艦自体は戦前から量産されていて実は珍しくも何とも無かった。
伊400も潜水艦としては大型で比較的大型の水上機晴嵐を3機も搭載するが、潜水艦としては常識的なものだった。
日本以外で水上機を積んだのは本当にイロモノだったけどね(笑
(フランスのシェルフークは20cm連装砲と着弾観測用の観測機を積んだ)

そして駆逐艦の水雷戦隊と同じく漸減作戦により、前哨戦で敵の戦艦を減らす事を考えていた。
水上機を積んだのも敵艦隊の位置を掴んで先回りする為だ。

あと、日本の潜水艦は他国の潜水艦と比べて格段に居住性が良かった。
水上艦に比べて居住性が悪いのは仕方ないが、それ故に少しでも何とかしようと配慮されていた。
仕官から水兵に至るまで全員に専用の寝台が有ったのは日本の潜水艦だけだ。
他国の潜水艦は交替で同じ寝台を使ったり、寝台すら足りずハンモックを使ったりしていた。

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軍艦の進化と種類(2)

次は第一次世界大戦(WW1)(1914)頃の話。

■弩(ド)級戦艦とは何か
1906年に完成したイギリスのドレットノート級戦艦と同じ設計思想の戦艦を弩級戦艦と呼んでいる。
完成は日露戦争後だけど構想は日露戦争前から始まっていた。
クイズ番組やアニメのネタにされたので知ってる人も多いと思う。
でもドレッドノートと他の戦艦の違いを尋ねられても「大きくて強いんじゃね?」ぐらいしか知らないと思う。間違いではないのだが本質は違う

前弩級戦艦は限られたスペース・重量で少しでも砲を載せる為に色んな口径の主砲/中間砲/副砲を混載し、各砲塔でバラバラに照準・射撃していた。
日露戦争でも敵艦周辺に多数の着弾水柱が上がり、自分の撃った弾がどれか解らなくて着弾修正する事ができず、至近距離で殴り合うしかなかった。

そこで共通の照準器/射撃指揮で全ての砲で同じ場所を弾幕の様に同時に撃つ方法が考えられた。
効果はてきめんで最大射程距離近くの遠距離でも命中できた。

で、その能力を生かす為に最適化されたのが「主砲は長射程の同一大口径を多数」「得意な遠距離戦を強要する為に敵より優速」「中間砲や副砲は照準の邪魔なので撤去」と言った内容で、結果的に今までの戦艦より少し大きくなった。
つまり大きいから弩級と呼ぶ訳ではないのだ。
(なお、肉薄する小型艦対策で副砲は復活した)

これにより前弩級戦艦は全てゴミとなった。
有効射程距離の差でアウトレンジされるし、多数で攻めても追いつけないので接近前に各個撃破される。
イギリスは前弩級戦艦を大量に保有していたので、過去の資産が全てゴミになった。
大損である。

なお”超弩級”と言うのも有るが、これはイギリスでドレットノートよりも少し大きい砲の戦艦を作り始めた時に、イギリスの新聞にスーパー ドレッドノートと書かれたのを日本語に直訳した物だ。
つまり、ただ大きいだけで本質的には弩級戦艦と同じ物だ。

一部で35.6cm砲を超弩級41cm砲を超々弩級46cm砲を超々々弩級と呼んだ様だが、くっだらねえ言葉遊びなので纏めて弩級戦艦で良いと思う。
って言うか日本以外では弩級と超弩級を区別しない方が多いようだ。

■巡洋戦艦とは何か
戦艦並みの攻撃力巡洋艦並みの速力と装甲を持った艦を巡洋戦艦と呼んだ。
自分の主砲に耐える装甲を持ったのが戦艦で、耐えられないのが巡洋戦艦とも言われるが、それは後世の後付理論で本質ではない。
って言うか殆どの戦艦は特定の中間距離以外では自分の主砲に耐えられない
時期や国によって装甲巡洋艦とか戦闘巡洋艦とか大巡洋艦とも呼ばれる。
弩級戦艦の要素も持っていたので弩級戦艦の1種でも有る。

イギリス式は戦艦の延長で戦艦と同じ主砲に従来の装甲巡洋艦並の装甲と速度を与え、ドイツ式は装甲巡洋艦の延長で装甲巡洋艦の主砲と装甲を強化した(戦艦には劣る)
両者を比較すると火力はイギリス式が勝り、防御はドイツ式が勝っていて、互いに撃ち合うと互いの装甲を撃ち抜けた。
戦艦と撃ち合うならイギリス式、格下の艦艇と撃ち合うならドイツ式が有利と考えられる。

日露戦争の日本海海戦では、装甲巡洋艦がバルチック艦隊の前方に回りこんで進路妨害すると言う大活躍だったが、自身の主砲で敵戦艦に致命傷を与えるのは困難だったのでもう少し火力が欲しかった。
又、通商破壊戦(護衛)や小規模戦に戦艦を出すのは使い難いが、従来の装甲巡洋艦程度を圧倒して蹴散らせる艦が欲しかった。
アウトレンジできるので装甲は必要無いんじゃね?とか高速だから遠距離戦では被弾し難いだろうとか期待されていた。

WW1前半にはイギリスの巡洋戦艦がドイツの巡洋艦をボコボコのケチョンケチョンに蹴散らして、巡洋艦以下の艦艇は巡洋戦艦に全く歯が立たない事を証明した。
巡洋戦艦時代の到来だ。

■ユトランド(ジュットランド)沖海戦(1916)
WW1中盤になって北海でイギリス海軍とドイツ海軍がぶつかり合う海戦が有った。
前弩級/弩級戦艦/巡洋戦艦/その他小艦艇が総力でぶつかり合う最初で最後の海戦だった。

結論を言えばゴミの前弩級戦艦は足が遅くて役に立たなかった。
弩級戦艦ですら足が遅くて殆ど砲戦に参加できなかった。
巡洋戦艦が主役だったがアッサリ被弾して戦闘力を失ったり沈んだりした。
つまり足の遅い戦艦装甲の弱い巡洋戦艦ダメって事が判明した。

もう少し細かく書くと、互いが有利になるように巡洋戦艦で位置取り合戦をする途中で主役が全滅して、戦艦がぶつかり合う前に戦闘継続を断念した。
巡洋戦艦時代終了のお知らせ。

■ポスト ユトランド
ユトランド沖海戦で巡洋戦艦がボコボコのケチョンケチョンになったけど、主な理由は主砲塔と甲板上面への被弾だった。
主砲塔(及び主砲基部のバーベット(筒))への被弾が予想外に多く、すぐに戦闘力を失ったり弾薬庫誘爆で轟沈したりした。
ドイツの巡洋戦艦は装甲が厚かったので沈み難かったが、砲塔はすぐにダメになって戦闘不能になった。
だから主砲塔(及びバーベット)も舷側装甲と同等以上の装甲が必携となった。
もう1つは予想以上に遠距離でバシバシ命中し、交戦距離が遠くなった事で山なり弾道の砲弾が甲板上面深い角度で刺さった。
巡航戦艦も戦艦も甲板は薄い鉄板で装甲が無かった。

ここら辺の対策をした艦の事をポストユトランドと呼んだ。
あと、巡洋戦艦並とまでは言わないけど、交戦意思の無い敵戦艦を追撃する為には戦艦も敵より3ノットぐらい優速でないとダメだと解った。

■垂直(舷側)装甲と水平(甲板)装甲
初期の弩級戦艦までは舷側装甲で至近距離から水平に近い角度で飛んでくる砲弾を防いだ。
しかし弩級になってからは遠距離で山なりに飛んでくる砲弾甲板の薄い装甲に刺さる様になったので、甲板に水平装甲を貼る必要があった。
あと、装甲を斜めに貼ったり垂直装甲を抜けた砲弾が低い位置の水平装甲で防がれる配置にしたりとか色々工夫した。

垂直装甲は近距離ほど弾速が早くて貫通し易くなる。
水平装甲は遠距離ほど弾道の角度が深くて貫通し易くなる。

艦や砲の組み合わせで違うがだいたい20km~30kmの中距離で最も防御力が高くなった。

■集中防御と完全防御
側面の垂直装甲だけでなく上面の水平装甲も必要になったが、広い面積に厚い装甲を貼ると重くなるので色々工夫した。
又、徹甲弾(鉄鋼弾ではないぞw)の性能も上がって従来の装甲厚で完全に防ぐのは不可能だったので、何かを妥協する必要があった。

船体全体に有る程度の装甲を貼って沈み難くしたのが完全防御。(全体防御とも言う)
有る程度以上強力な砲弾はスポスポ抜けて装備を壊されるが沈み難かった。
ポストユトランド以前の旧式戦艦は水平装甲の無い完全防御だった。

主砲・弾薬庫・機関等の配置をなるべく狭い範囲に集中してその部分の装甲を特に厚くしたのが集中防御。(狭いほど同じ重量で厚い装甲を貼れる)

沈むまで数百発の被弾に耐えるけど最初の数発で主砲や機関が沈黙する戦艦より、50発程度の被弾で沈むけど沈む直前まで主砲も機関も無事で戦闘力を維持する戦艦の方が有力って話だ。
完全防御は聞こえは良いが効率の悪い遅れた思想なのだ。

ポストユトランドを突き詰めると重量増加に耐えられないので集中防御方式に移行した。あと水密区画とか注排水装置とか船体構造の技術が進んだ事で、重要区画さえ守れば多少壊れても沈まない様になっていた。

でも直ぐに軍縮条約が結ばれたので新造時から導入できたのは英のネルソン級だけだった。
日本だと条約明けの大和型、米だとサウスダコタ級やアイオワ級だろう。(ノースカロライナ級は新型戦艦だが装甲は旧式)

でもドイツにはそう言う発想は無かった。
防御力が高いと評判のビスマルク最初の数発で戦闘不能になり、400発ぐらい被弾しても浮いていて、最後は自沈した。
実に無駄で上等なサンドバッグだ。

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軍艦の進化と種類(1)

私は元々軍事オタクだったけど、艦コレを始めてから色々思い出したり調べ直したりした事を忘れない様に残しておこうと思った。

まずは日露戦争(1904)の頃までの話。

■戦艦
古くは帆船の時代の戦列艦と呼ばれた物からの進化だ。
戦列艦は木造の大型船に数十問の大砲を積んで戦列(隊列)を組み、敵の戦列艦と撃ち合った。
当時の大砲は威力も精度も悪く大砲だけでは滅多に沈まなかったので、乗員や装備を破壊した上で体当たりや接舷乗り込みで拿捕する様な戦い方だった。
やがて技術の進歩で大砲だけで撃沈できるようになった事から装甲を貼る様になり、そして帆船から蒸気機関に移り更に大きな大砲や装甲を積む様になった。
これが戦艦の始まりだ。

そして技術の進歩は凄まじく直ぐに30cmを超える大砲を積む様になった。
そんな時代に起きたのが日露戦争の日本海海戦(1905)だった。
皆知っていると思うが歴史に残るワンサイドゲームの勝利だった。
勝因は技術や練度や偵察や疲労や補給状態等色々有るが、T字隊列が決め手だったとも言われる。

T字隊列について「有利側は全主砲を使えるが、不利側は最前列の艦の前方の主砲しか使え無い」とか「有利側は同じ方向を狙い続けられるので照準しやすい」みたいな説明を良く見るが、それは違う。
実際には斜め前に撃てるので正面以外の敵に向けて射撃可能だし、照準で難しいのは距離を合わせる事であって方向が変化するかどうかは大した問題ではない。って言うかT時隊列と言っても直角ではなくて斜めだから、そもそも関係ない
じゃあ何が有利なのかと言うと「相手の進路妨害をする事」だ。

半年かけて回航してボロボロに疲労して早くウラジオストックに滑り込み入港させたいのに、日本軍に捕捉されて回り込まれて進路を妨害されて、指揮混乱と損傷で脱落した艦を次々に各個撃破されて逃げる事も出来なかった
従来の普通の艦隊戦では難しかったのだが、戦艦群が敵の戦艦群よりも速かった事と更に高速な装甲巡洋艦が先回りして何度も何度も進路を妨害した。

つまりT字隊列だから有利になったと言うよりは、技術や練度や偵察や疲労や補給状態が有利だからT字隊列で戦うことが出来たと言うことだ。
それらが揃ってない状態でT字隊列を狙うと逆にボコボコにやられると言われている。

■巡洋艦
帆船の戦列艦が活躍していた時代、弱った敵戦列艦に接舷して兵隊を送り込むには小型で軽快なコルベットが活躍していた。
このコルベットに速射砲や装甲を載せたのが巡洋艦(装甲巡洋艦)の始まりだと言われている。
世界中の植民地を駆け巡り警備や外交を行う為に優れた航洋性と汎用性を持っていた。
大きな海戦では戦艦と共に戦うが、平時や小さな戦闘では馬車馬のように働いた、戦艦が戦う船なら巡洋艦は働く船だ
戦艦と違って強さよりも使い勝手や建造・運用コストが重要なので、無駄に強くする事よりも手ごろな大きさで沢山作った。
又長期航海のストレス軽減や要人を運ぶ為に居住性にも優れていた。
巡洋艦も戦闘力を重視した装甲巡洋艦安価で汎用性に優れた軽巡洋艦に別れていった。

■水雷艇と駆逐艦
帆船の時代から機械式水雷と言う兵器は有った。
爆発時の水圧で船体をへし折る装甲の効き難い強力な兵器で、略して機雷と呼ばれた。
トラップとして使う以外には人間が運んで特攻に近い使われ方をした。
やがて魚の様に自力で水中を移動する機雷が産まれた。魚型水雷、略して魚雷だ。
魚雷は大型の戦艦を一撃で葬る威力が有り戦艦や巡洋艦に装備したが、射程が短いので止めを刺す時ぐらいしか使えなかった。
そこで小型の高速船に魚雷を積んで至近距離から魚雷を撃つ水雷艇が産まれた。
小さくて速くて小回りの効く水雷艇だが、まともに突っ込めば薙ぎ払われるので戦闘中の混乱や夜間や脱落した所を狙った。
そして当れば戦艦でも沈んだ。やっすい水雷艇に戦艦を喰われるのは大問題だ。

そこで水雷艇を始末する専用の艦を作った。
水雷艇を駆逐するための軍艦、水雷艇駆逐艦の誕生だ。
水雷艇に航洋性は無く自国や根拠地の近辺でしか活動できなかったので、それに対応する水雷艇駆逐艦にも航洋性は無く狙い易い小型の砲で水雷艇を圧倒した。

でも、水雷艇駆逐艦に魚雷を積めば水雷艇の代わりにもなるし敵の水雷艇駆逐艦に圧倒される事も無いんじゃね?って事に気が付いた。
気付いてしまったその瞬間に水雷艇の存在意義が消滅した。水雷艇駆逐艦は文字通りこの世から水雷艇を駆逐した

人々が水雷艇の存在を忘れると同時に水雷艇駆逐艦は駆逐艦と呼ばれる様になった。

日露戦争では水雷艇も水雷艇駆逐艦も参加したが航洋能力が無い為に接敵が難しく、脱落艦の処分や偵察ぐらいしか役に立たなかった。

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